染谷さんちの米クラブ

米作りをめざす市民グループ
米づくりの未来が日本の未来を拓く
染谷さんちの米クラブ 代表 吉野信次

1996 年3 月「染谷さんちの米クラブ」という米づくりをめざす市民グループが誕生しました。

柏市の北部(船戸)で農業を営む染谷茂さんの田んぼ(2反歩)を借りて、米づくりに挑戦することになったのです。

なぜこのような米づくりをめざす市民グループが誕生したのか、ちよっとふれておきたいと思います。

 

まだ記憶に留まつているかと思います1994 年全国を襲った冷害、この冷害によって大変な「米パニック」がおきました。

1973 年頃におきたオイルショックによる「紙パニック」を想起させるものです。

この冷害によって日本の米事情・日本の農業がいかに大きな問題点を抱えているか、多くの国民に知らせることなりました。

減反減反と米づくりを制限させておきながら、米の備蓄がほとんどされていませんでした。

 

あわてた政府は、世界中から米を買いあさりました。

タイでは、日本に米を輸出するため、国民が大変な食糧難に追いこまれたといいます。

 

米が余るから減反する、自動車や電気器具を輸出するために日本の農業をつぶす、日本の食料は海外に依存する、こうした高度経済成長政策期にとられだした農業潰しの基本政策が根本から問われたと思います。

 

日本の農業が危機的状況におかれていながらも、多くの国民・消費者は、安い農産物が海外から輸入されれば問題ないんじゃない、と政府の政策・宜伝を信じていたと思います。

1994 年の冷害「米パニック」によって、日本の農業のあり方を真剣に考えようとする市民・消費者が多く生れたのではないでしょうか。私たちもその一人ひとりです。

 

「米パニック」直後から、近場で安全な米づくりをしている生産者と出会いたい、日本の米と農業のあり方を多面的に考えていかなければならないのではないか、大人も子供も米づくり体験を通じて、土の感触を味わい米づくりの大変さを実感して欲しい、こんな想いを強く持つようになりました。

 

る人の紹介で染谷さんとの出会いが実現しました。

私の問題意識を提案すると、すぐ田んぼを提供してもいいとの返事をいただきました。

染谷さんの米づくりに賭ける熱い想いも聞くことができました。

農業の将来を語る眼差しはキラキラと輝き、これからの農業・米づくりは市民・消費者との連携・協力がなければ維持•発展できないのだという決意を身体中から滲み出していました。

何とすばらしい生産者と出会うことが出来たかと感動したことを昨日のように覚えています。

 

しかし、呼びかけが不充分だったために、95 年から「米クラブ」をスタートさせることができませんでした。呼びかけで得た多くの反応は「安全な米は食べたいが、土にまみれた農作業はしたくない」と言うものでした。大いなるショックでした。長年にわたって農業の大切さを体験・理解できず農業から切り離され続けてきた市民・消費者の意識を見せつけられたからです。

この失敗から一年がかりで、東葛地域で環境問題や農業問題に関心をもち、米づくりに参加してくれそうな市民に呼びかけを始めました。

こうして96 年3 月「染谷さんちの米クラブ」は誕生したのです。

 

米クラブの誕生にあたって、2つの問題意識・共通認識を確認しました。

ーつは、農業が食糧問題だけでなく、環境の問題を含めて大切な営みであること、米づくりの体験を通じて、生産者と消費者の相互理解を深めてい<こと。

二つは、私たちと次世代の子どもたちが、土にふれ、稲を育て、米を収穫する喜びを実感できる場を用意していこう、ということでした。

農業を潰してしまう国民も、農業の大切さを伝えない国民にも未来はない、この共通認識をこれからの「米クラブ」の取り組みを通じてさらに豊かにしていきたいと思います。

市民のみなさん、是非「染谷さんちの米クラブ」に参加し、米づくりのために汗水を流してみませんか。